たけくらべ(一〜三)/樋口一葉 (新字旧仮名)

 廻れば大門おほもんの見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝どぶに燈火ともしびうつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来ゆききにはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前だいおんじまへと名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き、三嶋神社みしまさまの角をまがりてよりこれぞと見ゆる大厦いゑもなく、かたぶく軒端のきばの十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利きかぬ処ところとて半なかばさしたる雨戸の外に、あやしき形なりに紙を切りなして、胡粉ごふんぬりくり彩色さいしきのある田楽みるやう、裏にはりたる串くしのさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日にしまふ手当ことごとしく、一家内これにかかりてそれは何ぞと問ふに、知らずや霜月しもつき酉とりの日例の神社に欲深様よくふかさまのかつぎ給たまふこれぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかかりて、一年うち通しのそれは誠の商買人、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着はるぎの支度もこれをば当てぞかし、南無なむや大鳥大明神おほとりだいめうじん、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等万倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、このあたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者くるわものにて良人おつとは小格子こがうしの何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出たちいづれば、うしろに切火きりび打かくる女房の顔もこれが見納めか十人ぎりの側杖そばづえ無理情死しんぢうのしそこね、恨みはかかる身のはて危ふく、すはと言はば命がけの勤めに遊山ゆさんらしく見ゆるもをかし、娘は大籬おほまがきの下新造したしんぞとやら、七軒の何屋が客廻しとやら、提燈かんばんさげてちよこちよこ走りの修業、卒業して何にかなる、とかくは檜舞台ひのきぶたいと見たつるもをかしからずや、垢あかぬけのせし三十あまりの年増としま、小ざつぱりとせし唐桟とうざんぞろひに紺足袋こんたびはきて、雪駄せつたちやらちやら忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が桟橋とんと沙汰さたして、廻り遠どほや此処ここからあげまする、誂あつらへ物ものの仕事やさんとこのあたりには言ふぞかし、一体の風俗よそと変りて、女子おなごの後帯うしろおびきちんとせし人少なく、がらを好みて巾広はばびろの巻帯、年増はまだよし、十五六の小癪こしやくなるが酸漿ほうづきふくんでこの姿なりはと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや、昨日きのふ河岸店かしみせに何紫なにむらさきの源氏名げんじな耳に残れど、けふは地廻りの吉きちと手馴れぬ焼鳥の夜店を出して、身代たたき骨になれば再び古巣への内儀かみさま姿すがた、どこやら素人しろうとよりは見よげに覚えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月仁和賀にわかの頃の大路を見給へ、さりとは宜よくも学びし露八ろはちが物真似、栄喜ゑいきが処作しよさ、孟子もうしの母やおどろかん上達の速すみやかさ、うまいと褒ほめられて今宵こよひも一廻りと生意気は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、鼻歌のそそり節、十五の少年がませかた恐ろし、学校の唱歌にもぎつちよんちよんと拍子を取りて、運動会に木きやり音頭もなしかねまじき風情ふぜい、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるる入谷いりやぢかくに育英舎とて、私立なれども生徒の数は千人近く、狭き校舎に目白押の窮屈さも教師が人望いよいよあらはれて、唯ただ学校と一ト口にてこのあたりには呑込のみこみのつくほど成るがあり、通ふ子供の数々に或あるひは火消鳶人足ひけしとびにんそく、おとつさんは刎橋はねばしの番屋に居るよと習はずして知るその道のかしこさ、梯子はしごのりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へのつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の父ととさんは馬だねへと言はれて、名のりや愁つらき子心にも顔あからめるしほらしさ、出入りの貸座敷いゑの秘蔵息子寮住居りようずまゐに華族さまを気取りて、ふさ付き帽子面おももちゆたかに洋服かるがると花々しきを、坊ちやん坊ちやんとてこの子の追従ついしようするもをかし、多くの中に龍華寺りうげじの信如しんによとて、千筋ちすぢとなづる黒髪も今いく歳とせのさかりにか、やがては墨染すみぞめにかへぬべき袖そでの色、発心ほつしんは腹からか、坊は親ゆづりの勉強ものあり、性来せいらいをとなしきを友達いぶせく思ひて、さまざまの悪戯いたづらをしかけ、猫の死骸しがいを縄にくくりてお役目なれば引導をたのみますと投げつけし事も有りしが、それは昔、今は校内一の人とて仮にも侮あなどりての処業はなかりき、歳としは十五、並背なみぜいにていが栗の頭髪つむりも思ひなしか俗とは変りて、藤本信如ふぢもとのぶゆきと訓よみにてすませど、何処どこやら釈しやくといひたげの素振そぶりなり。

 八月二十日は千束せんぞく神社のまつりとて、山車屋台だしやたいに町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内なかまでも入込いりこまんづ勢ひ、若者が気組み思ひやるべし、聞かぢりに子供とて由断のなりがたきこのあたりのなれば、そろひの裕衣ゆかたは言はでものこと、銘々に申合せて生意気のありたけ、聞かば胆きももつぶれぬべし、横町よこてう組と自らゆるしたる乱暴の子供大将に頭かしらの長ちようとて歳も十六、仁和賀にわかの金棒かなぼうに親父の代理をつとめしより気位ゑらく成りて、帯は腰の先に、返事は鼻の先にていふ物と定め、にくらしき風俗、あれが頭の子でなくばと鳶人足とびにんそくが女房の蔭口かげぐちに聞えぬ、心一ぱいに我がままを徹とほして身に合はぬ巾はばをも広げしが、表町おもてまちに田中屋の正太郎しようたらうとて歳は我れに三つ劣れど、家に金あり身に愛敬あいけうあれば人も憎くまぬ当の敵かたきあり、我れは私立の学校へ通ひしを、先方さきは公立なりとて同じ唱歌も本家のやうな顔をしおる、去年こぞも一昨年おととしも先方さきには大人の末社まつしやがつきて、まつりの趣向も我れよりは花を咲かせ、喧嘩けんくわに手出しのなりがたき仕組みも有りき、今年又もや負けにならば、誰れだと思ふ横町の長吉ちようきちだぞと平常つねの力だては空からいばりとけなされて、弁天ぼりに水およぎの折も我が組に成る人は多かるまじ、力を言はば我が方がつよけれど、田中屋が柔和おとなしぶりにごまかされて、一つは学問が出来おるを恐れ、我が横町組の太郎吉たろきち、三五郎など、内々は彼方あちらがたに成たるも口惜くちをし、まつりは明後日あさつて、いよいよ我が方かたが負け色と見えたらば、破れかぶれに暴れて暴れて、正太郎が面つらに※(「やまいだれ+低のつくり」、第4水準2-81-42)きず一つ、我れも片眼片足なきものと思へば為しやすし、加担人かたうどは車屋の丑うしに元結もとゆひよりの文ぶん、手遊屋おもちややの弥助やすけなどあらば引けは取るまじ、おおそれよりはあの人の事あの人の事、藤本のならば宜よき智恵も貸してくれんと、十八日の暮れちかく、物いへば眼口にうるさき蚊を払ひて竹村しげき龍華寺の庭先から信如が部屋へのそりのそりと、信のぶさん居るかと顔を出しぬ。

 己おれの為する事は乱暴だと人がいふ、乱暴かも知れないが口惜くやしい事は口惜しいや、なあ聞いとくれ信さん、去年も己れが処の末弟すゑの奴と正太郎組の短小野郎ちびやらうと万燈まんどうのたたき合ひから始まつて、それといふと奴の中間なかまがばらばらと飛出しやあがつて、どうだらう小さな者の万燈を打ぶちこわしちまつて、胴揚どうあげにしやがつて、見やがれ横町のざまをと一人がいふと、間抜に背のたかい大人のやうな面をしてゐる団子屋の頓馬とんまが、頭かしらもあるものか尻尾しつぽだ尻尾だ、豚の尻尾だなんて悪口あくこうを言つたとさ、己らあその時千束様せんぞくさまへねり込んでゐたもんだから、あとで聞いた時に直様じきさま仕かへしに行ゆかうと言つたら、親父とつさんに頭から小言こごとを喰くつてその時も泣寐入なきねいり、一昨年おととしはそらね、お前も知つてる通り筆屋の店へ表町の若衆わかいしゆが寄合よりあつて茶番か何かやつたらう、あの時己れが見に行つたら、横町は横町の趣向がありませうなんて、おつな事を言ひやがつて、正太ばかり客にしたのも胸にあるわな、いくら金が有るとつて質屋のくづれの高利貸が何たら様だ、あんな奴を生して置くより擲たたきころす方が世間のためだ、己おいらあ今度のまつりにはどうしても乱暴に仕掛て取かへしを付けようと思ふよ、だから信さん友達がひに、それはお前が嫌やだといふのも知れてるけれども何卒どうぞ我おれの肩を持つて、横町組の耻はぢをすすぐのだから、ね、おい、本家本元の唱歌だなんて威張りおる正太郎を取とつちめてくれないか、我おれが私立の寐ぼけ生徒といはれればお前の事も同然だから、後生だ、どうぞ、助けると思つて大万燈おほまんどうを振廻しておくれ、己れは心しんから底から口惜しくつて、今度負けたら長吉の立端たちばは無いと無茶にくやしがつて大幅の肩をゆすりぬ。だつて僕は弱いもの。弱くても宜いいよ。万燈は振廻せないよ。振廻さなくても宜いよ。僕が這入はいると負けるが宜いかへ。負けても宜いのさ、それは仕方が無いと諦あきらめるから、お前は何も為しないで宜いから唯横町の組だといふ名で、威張つてさへくれると豪気がうぎに人気じんきがつくからね、己れはこんな無学漢わからずやだのにお前は学ものが出来るからね、向ふの奴が漢語か何かで冷語ひやかしでも言つたら、此方こつちも漢語で仕かへしておくれ、ああ好いい心持ださつぱりしたお前が承知をしてくれればもう千人力だ、信さん有がたうと常に無い優しき言葉も出いづるものなり。

 一人は三尺帯に突つッかけ草履の仕事師の息子、一人はかわ色金巾がなきんの羽織に紫の兵子帯へこおびといふ坊様仕立じたて、思ふ事はうらはらに、話しは常に喰ひ違ひがちなれど、長吉は我が門前に産声うぶごゑを揚げしものと大和尚だいおしよう夫婦が贔負ひいきもあり、同じ学校へかよへば私立私立とけなされるも心わるきに、元来愛敬のなき長吉なれば心から味方につく者もなき憐あはれさ、先方さきは町内の若衆わかいしゆどもまで尻押しりおしをして、ひがみでは無し長吉が負けを取る事罪は田中屋がたに少なからず、見かけて頼まれし義理としても嫌やとは言ひかねて信如、それではお前の組に成るさ、成るといつたら嘘うそは無いが、なるべく喧嘩は為せぬ方が勝だよ、いよいよ先方さきが売りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郎位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都みやげに貰もらひたる、小鍛冶こかぢの小刀こがたなを取出して見すれば、よく利れそうだねへと覗のぞき込む長吉が顔、あぶなし此物これを振廻してなる事か。

 解かば足にもとどくべき毛髪かみを、根あがりに堅くつめて前髪大きく髷まげおもたげの、赭熊しやぐまといふ名は恐ろしけれど、此髷これをこの頃の流行はやりとて良家よきしゆの令嬢むすめごも遊ばさるるぞかし、色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてては美人の鑑かがみに遠けれど、物いふ声の細く清すずしき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々いきいきしたるは快き物なり、柿色に蝶鳥てふとりを染めたる大形の裕衣ゆかたきて、黒襦子くろじゆすと染分そめわけ絞りの昼夜帯ちうやおび胸だかに、足にはぬり木履ぼくりここらあたりにも多くは見かけぬ高きをはきて、朝湯の帰りに首筋白々と手拭てぬぐひさげたる立姿を、今三年の後のちに見たしと廓くるわがへりの若者は申き、大黒屋だいこくやの美登利みどりとて生国せうこくは紀州、言葉のいささか訛なまれるも可愛かわゆく、第一は切れ離れよき気象を喜ばぬ人なし、子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理、姉なる人が全盛の余波なごり、延ひいては遣手やりて新造しんぞが姉への世辞にも、美いちやん人形をお買ひなされ、これはほんの手鞠代てまりだいと、くれるに恩を着せねば貰ふ身の有がたくも覚えず、まくはまくは、同級の女生徒二十人に揃そろひのごむ鞠を与へしはおろかの事、馴染なじみの筆やに店たなざらしの手遊てあそびを買しめて喜ばせし事もあり、さりとは日々夜々にちにちややの散財この歳としこの身分にて叶かなふべきにあらず、末は何となる身ぞ、両親ありながら大目に見てあらき詞ことばをかけたる事も無く、楼の主あるじが大切がる様子さまも怪しきに、聞けば養女にもあらず親戚しんせきにてはもとより無く、姉なる人が身売りの当時、鑑定めききに来たりし楼の主が誘ひにまかせ、この地に活計たつきもとむとて親子三人みたりが旅衣、たち出いでしはこの訳、それより奥は何なれや、今は寮のあづかりをして母は遊女の仕立物、父は小格子の書記に成りぬ、この身は遊芸手芸学校にも通はせられて、そのほかは心のまま、半日は姉の部屋、半日は町に遊んで見聞くは三味さみに太鼓にあけ紫のなり形、はじめ藤色絞りの半襟はんゑりを袷あはせにかけて着て歩るきしに、田舎者いなか者と町内の娘どもに笑はれしを口惜くやしがりて、三日三夜泣きつづけし事も有しが、今は我れより人々を嘲あざけりて、野暮な姿と打うちつけの悪にくまれ口を、言ひ返すものも無く成りぬ。二十日はお祭りなれば心一ぱい面白い事をしてと友達のせがむに、趣向は何なりと各自めいめいに工夫して大勢の好い事が好いでは無いか、幾金いくらでもいい私が出すからとて例の通り勘定なしの引受けに、子供中間の女王様によわうさま又とあるまじき恵みは大人よりも利きが早く、茶番にしよう、何処どこのか店を借りて徃来わうらいから見えるやうにしてと一人が言へば、馬鹿を言へ、それよりはお神輿みこしをこしらへておくれな、蒲田屋かばたやの奥に飾つてあるやうな本当のを、重くても搆かまいはしない、やつちよいやつちよい訳なしだと捩ねぢ鉢巻をする男子おとこのそばから、それでは私たちがつまらない、皆みんなが騒ぐを見るばかりでは美登利さんだとて面白くはあるまい、何でもお前の好い物におしよと、女の一むれは祭りを抜きに常盤座ときはざをと、言ひたげの口振くちぶりをかし、田中の正太は可愛らしい眼をぐるぐると動かして、幻燈にしないか、幻燈に、己れの処にも少しは有るし、足りないのを美登利さんに買つて貰つて、筆やの店で行やらうでは無いか、己れが映し人てで横町の三五郎に口上を言はせよう、美登利さんそれにしないかと言へば、ああそれは面白からう、三ちやんの口上ならば誰れも笑はずにはゐられまい、序ついでにあの顔がうつると猶なほおもしろいと相談はととのひて、不足の品を正太が買物役、汗に成りて飛び廻るもをかしく、いよいよ明日あすと成りては横町までもその沙汰さた聞えぬ。

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